樋口大使の「ブラディ・リッジの戦闘記念式典」出席
令和7年9月16日
樋口大使によるスピーチ
樋口大使による米国慰霊碑での献花
9月16日、ブラディ・リッジ国立歴史公園建設予定地で「ブラディ・リッジの戦闘記念式典」が開催されました。樋口惠一大使、チョイリン・イム・ダグラス文化観光大臣、ロッド・ヒルトン豪州高等弁務官、ポール・ターナー英国高等弁務官、ジョナサン・カーNZ高等弁務官、ダン・オハラ米国大使館臨時代理大使、NZ警察関係者、豪州および英国の防衛アドバイザー、エミリー・デイヴィスHALOトラスト・プログラム・マネージャー他が式典に出席しました。
ブラディ・リッジにおける戦闘は1942年9月12日から14日にかけて、ホニアラ空港の南5キロメートルにあるムカデ高地で戦われました。川口清健少将率いる日本軍は、我々のすぐ背後に位置する飛行場を奪還すべく、突破口を開くべく激しく戦いました。対峙したのはメリット・エドソン大佐指揮下の米海兵隊。彼らは丘陵地帯の死守に奮闘し、連合軍がガダルカナル島でかろうじて維持していた支配基盤が崩壊する危機を食い止めました。
樋口大使はスピーチの中で、聖十字架カトリック教会でのミサ、全国ソロモン会主催の慰霊祭、米国海兵隊主催の慰霊式典、ソロモン・スカウトおよび沿岸監視団信託主催の慰霊式典、そして豪州主催のHMASキャンベラ号乗組員慰霊式典への出席を振り返った後、平和への祈りを捧げると述べました。さらに樋口大使は、平和が当然のものではないことを自覚し、平和を維持し築くために各自が果たせる役割を考えるべきだと述べました。そして、平和を獲得し維持するために戦った戦いと戦後の努力の物語を、次世代へと伝えていく使命を我々一人ひとりが背負っていると語りました。
ソロモン政府は、ブラディ・リッジにおける戦闘の計り知れない歴史的意義を守り、ソロモンの象徴的な観光名所へと変貌させるため、ブラディ・リッジ国立歴史公園を整備しています。文化・観光省は、豪州国際ボランティア事業を通じた豪州政府の支援、ソロモン国立大学環境学部、米国国防総省捕虜・行方不明者調査局およびHALOトラストなどによる支援を得て、開発計画および運営管理計画を作成しています。
ブラディ・リッジにおける戦闘は1942年9月12日から14日にかけて、ホニアラ空港の南5キロメートルにあるムカデ高地で戦われました。川口清健少将率いる日本軍は、我々のすぐ背後に位置する飛行場を奪還すべく、突破口を開くべく激しく戦いました。対峙したのはメリット・エドソン大佐指揮下の米海兵隊。彼らは丘陵地帯の死守に奮闘し、連合軍がガダルカナル島でかろうじて維持していた支配基盤が崩壊する危機を食い止めました。
樋口大使はスピーチの中で、聖十字架カトリック教会でのミサ、全国ソロモン会主催の慰霊祭、米国海兵隊主催の慰霊式典、ソロモン・スカウトおよび沿岸監視団信託主催の慰霊式典、そして豪州主催のHMASキャンベラ号乗組員慰霊式典への出席を振り返った後、平和への祈りを捧げると述べました。さらに樋口大使は、平和が当然のものではないことを自覚し、平和を維持し築くために各自が果たせる役割を考えるべきだと述べました。そして、平和を獲得し維持するために戦った戦いと戦後の努力の物語を、次世代へと伝えていく使命を我々一人ひとりが背負っていると語りました。
ソロモン政府は、ブラディ・リッジにおける戦闘の計り知れない歴史的意義を守り、ソロモンの象徴的な観光名所へと変貌させるため、ブラディ・リッジ国立歴史公園を整備しています。文化・観光省は、豪州国際ボランティア事業を通じた豪州政府の支援、ソロモン国立大学環境学部、米国国防総省捕虜・行方不明者調査局およびHALOトラストなどによる支援を得て、開発計画および運営管理計画を作成しています。
第二師団勇会ガ島戦没者慰霊碑(ムカデ高地)